潘金生
诚如所知,日本文言动词活用的种类在平安时代为九种,及至近世却锐减为五种,遂与现代日语的动词活用种类相同。于此,语法学家多认为,在阐明动词活用从古代日语日渐向近代日语的方向变迁时,除时代和社会的因素外,切不可忽视“终止形与连体形同化”这一现象对其所施至关重要的影响。笔者窃以为厘清二者的关联,方可探明其变迁的真正起因。
本文拟以其最主要的、也是最典型的“ナ变·ラ变活用四段化”和“二段活用一段化”为中心,首先对“终止形与连体形同化”的形成及其对动词活用变迁的影响作一概述,然后再用大量实例,即“以证求证”的方法对上述二者为中心的动词活用“是如何逐步发生变迁的”作一具体的比较、分析。这也许有助于从语法的历史变迁中把握动词活用变迁的特点及其意义吧。
文中不备或错误之处,恳请批评、匡正。
(一)
所谓“终止形与连体形同化”这一现象始见于平安时代末“院政期”(1086~1192)后,但它的形成却见于上代、盛用于平安中期的“连体形终止法”(=“连体め”)的出现及其影响有着极其重要的关联。
甲诚如所知,作为动词用法中的终止法(此处指用于一般结句)和连体法(此处指用于修饰体言),自上代起便主要分别由动词活用形中的“终止形”和“连体形”予以表示。若以“ナ变·ラ变活用”和“二段活用”为例,则为:
(1)あるいはが家にりゐ、あるいは己れが行かまほしき所へぬ。(《竹取物语·尤首珠》)
(2)……れをとふ。るの、はげ或は死ぬ。……が马にてぬ。(《今昔物语集·十五-13》)
(3)ひびて死ぬる薬のゆかしきに雪の山にやをけなまし。(《源氏物语·总角》)
(4)ぬるも·の·数十人、のたぐひ、を知らず。(《方丈记·大火》)
(5)の心をゆらみの子のの入りたずあり。(《古事记·中卷·清宁天皇·歌谣107》)
(6)、のに、かぐやをへてをり。(《竹取物语·升天》)
(7)にといふものあり。(《宇治拾遗物语·序》)
(8)わがの御ためにいますかる殿には、……。(《宇津保物语·藤原君》)
(9)ある物を见るに、人ばかりしきはなし。(《徒然草·7》)
(10)れかかるほど、がをぐ。(《十六夜·清见关》)
(11)くれくれしくうらむる人の心らじと思ひて、……。(《源氏物语·帚木》)
(12)人は、をぜむがためにをむ。(《徒然草·217》)
(13)のかか、たづぬる人ののか、おぼつかなくは思へども、をはやめてゆくほどに、……。(《平家物语·六一小督》)
如上诸例所示,终止法和连体法主要分别用于表示“终止形”和“连体形”,但始于上代,出现一种却以连体形结句的“连体形终止法”。
上述“连体形终止法”谓者,系指句中虽无“ぞ”“なむ”“や”“か”等系助词的“呼应规则”(=“係り结び法则”)的要求,为表示余韵、余情、感叹和委婉的语感而以活用词(并不仅仅限于动词,也包含助动词、形容词及其以后的所有活用词等)连体形结句的一种终止法。此法若与常见的以终止形结句的终止法相比,则带有感情色彩,会使读者产生一种联想,即被下接的连体形所省略了的体言的心情(=…ことよ、=…ものよ、=…だったことよ),所谓“意在言外”、“意犹未尽”,故而此法也有“余情表现”之称。
此法早在上代已见用例,多以格助词“の”、“が”表示主语,但仅限于韵文。例如:
(14)にあるのぞもここたくにがせむとわれをむる。(《万叶集·十八-4036》)
(15)ののいたづらににせる见る人しに。(《万叶集·九-1673》)
(16)わがをへるときふけてにわがちれし。(《万叶集·二-105》)
自进入平安时代中期后,此种柔和的“连体形终止法”广为贵族社会以及时人所好,其用例也随之增多。在当时,它主要用于会话,也见于和歌、书简文等。
一般而言,用于会话、书简文时多表感叹和委婉的语感。例如:
(17)かぐやのいはく、「……ここには、かくしくびえてならひれり。いみじからむもせず、しくのみある。されどおのがならずりなむとする」といひて、にいみじうく。(《竹取物语·升天》)
(18)これがに、むいたくめでて、「ひしたうべりしみにはずもあるかな。」とひける。(《土佐日记·2月6日》)
(19)あやしきものかな、にかかるをさしいれていぬるとて见れば……。(《宇津保物语·国让》)
(20)〈〉「の子をいぬきががしつる。のうちにめたりつるものを」とて、くちおしとへり。(《源氏物语·若紫》)
(21)れたる家の、きをながめて、のにきほへる、めきて、おぼえりし。(《源氏物语集·帚木》)
(22)〈头等〉「の月に、しうにれりにけると思うへられしかば、をけてりる。……」となどいふ。(《源氏物语·松风》)
(23)〈〉「舟にやあらむ。小さき舟の飞ぶやうにてる。」などいふものあり。(《源氏物语·玉鬘》)
(24)〈の〉「このは、手づからみつる」となどいへば、……。(《枕草子·99》)
(25)ならずもなくてになれば、心ぼそくうちながむるほどに、长女をてたり。「より、宰相の君して、びてはせたりつる。」といひて、……。(《枕草子·275》)
(26)昔、おとこ、あづまへゆきけるに、友だちどもに、みちより、いひおこせける。……(《伊势物语·天福本·11》)
(27)……うちきて书くは、「……月のいでたらむ夜は、おこせへ。てたてまつりてまかるよりも、ちぬべきする。」ときおく。(《竹取物语·升天》)
此法用于和歌时则多表余情、余韵。例如:
(28)春立てば花とや见らむのかかれるにのく。(《古今集·春上-6》)
(29)こそとりしかいつのまにそよぎての吹く。(《古今集·秋上-172》)
(30)のにやまじりにしありとはけど见るよしもなき。(《古今集·物名-447》)
(31)にもやおくらむもすからへるのひちてかぬ。(《古今集·恋二-574》)
(32)かざりしの中にやりにけむわがのなきする。(《古今集·杂下-992》)
(33)秋风にやつらんのわたるもなく月のながるる。(《后撰集·六》)
如上所示,此法在进入平安时代中期后则主要用于会话、和歌等,一般不用于文章的叙述部分(=の),但仅仅限于少数近似会话的文章、日记等的主情表现中,如《紫式部日记·秋之风情》“うきのなぐさめには、かかりをこそたづねるべかりけれど、うつしをばひきたがへ、たとしへなくよろづるにも、かつはあやしき。”等,但及至平安末的“院政期”后,由于上述“连体形终止法”及其大量用例,加之社会语言变迁的影响,遂开始出现可用于文章的叙述部分的,以连体形表示单纯结句的用例。其初多为助动词“けり”、“たり”的连体形“ける”、“たる”,其后也逐渐使用动词及其他活用词予以表现。例如:
(34)今は、のの国にる人もきありける。(《今昔物语集·十五-41》)
(35)、とけるの。时にのとりける。(《今昔物语集·廿三-13》)
(36)のはにし和歌をくける、となむりへたるとや。(《今昔物语集·二十四-35》)
(37)のをせむとるに、……のく、「れ年にひたり。事きにり。ぢ、のはにしてかにはらむとる」とて、せむとる。にく、……。(《今昔物语集·卅-13》)
(38)アハレニニトマリオボユルと。(《却废忘记·下》)
如上例(34)至(38)所示,其句末的“(……尼ありけ)る”、“(……兵有りけ)る”、“(……微妙く)る”、“(……(と為)る”和“(……(トマリオボユ)ル”等均非系助词“ぞ、なむ、や、か”以及“连体形终止法”的要求,只是于此表示单纯的结句而已,即为以连体形表述单纯结句的终止法。此与上述带有感情色彩的“连体形终止法”是完全不同的两种终止法。这一极其重要的语法现象说明了:连体形这一形态已侵占了终止形的位置,具有取代终止形表示结句的功能,故而自上述“院政期”起逐渐出现不用终止形而用连体形表示单纯结句的用例。其后经中世镰仓,尤进入室町时代中期后一般均不用终止形而以连体形结句来表示终止法了。
上述的这种倾向势必促使二形,即终止形与连体形的日趋合一、同化的现象。后随着社会语言变迁和以连体形结句的用例日益增多的影响,最后终止形终于为连体形所吸收,这也就是说,终止形与连体形变为同一形态,连体形起着兼表终止形的作用。这一用法在日本国语史上具有划时代意义的“终止形与连体形同化”的语法现象,对于动词活用的变迁有着极其重要的影响。
乙进入中世镰仓时代后,虽说仍见有以“连体形终止法”表达感叹、余情等的用例,如:
(39)ほととぎすきよりでにけりのに声のちる。(《新古今集·夏-218》)
(40)れてはこそてれしもたるする。(《新古今集·恋四-1237》)
(41)冬のて山もあらはにのりるさへにしき。《新古今集·冬-565》)
(42)にあさるあしたづもかたぶけば声のむる。(《新古今集·杂上-1553》)
(43)……くみたりけるのども、「あつぱれその馬はもひし、昨日も見えて。もしひつる」など、にしければ、……(《平家物语·四-竟武士》)
尽管如此,但其已呈现出“连体形终止法”的用例日趋减少的倾向。与此相反,代之以“连体形表示单纯结句”的这一终止法遂得到广泛普及,其用例也逐日增多。如:
(44)、のに、といふみける。(《宇治拾遗物语·二-7》)
(45)このいふやう、「……にひし時もにせさせおはしまして、らせなどし候ひし。……」とふ。(《宇治拾遗物语·五-8》)
(46)我昨日せんとひしに、〈〉我をざりし。(《古代著闻集·释教2》)
(47)たとひ、人、われをころさむとするとも、われは、人にうらみをなすべからず、あだをばにてずるといふ。(《宝物集》)
(48)かやうの事をも、しりながらもをこのむものもおほくる。(《宝物集》)
(49)……「のゐたらんは、何かはしかるべき。こののさばかりにこそ」とて、そのはらざりけるときるに……(《徒然草-10》)
(50)また、「人に酒すすむるとて、おのれまづたべて人にひてらんとするは、……。」(《徒然草-110》)
(51)昨日はにりたりし、今日はへ参るべし、ただはそこそこに」などいひあへり。(《徒然草-50》)
(52)……「かばかりになりては、びお「にまたといふものありて、人をくらふなる」と、人のいひける……。(《徒然草-89》)
其后,即进入中世室町时代,尤其是在它的中后期,由于上述以连体形表示单纯结句的大量用例的影响,一般均以连体形表示结句的终止法。这大量的不断出现的以连体形表示单纯结句的用例势必有力地促使终止形与连体形同化、合一。后随时代、社会的变化和以连体形结句的用例日益增加的影响,终止形最终为连体形所吸收。这也就是说,终止形与连体形变为同一形态,连体形则起到兼表终止形的作用了。
丙事实上也如前所述,早在平安末“院政期”连体形已具有取代终止形的位置表示终止法的功能,在其用例的影响下已日渐出现“二段活用”向“一段活用”、“ラ变活用”向“四段活用”变迁的征兆了(参见表三)。例如:
(53)このとのに、よきふでづかのあるものを、てここのとみをかきよせるうでのぢくのあるものを。(《梁尘秘抄二—二句神歌》)
(54)《前田家本色叶字类抄》渝カヘ·ル経ヘ·ル媚コヒ·ル
(55)《三教指归注》栄サカヘ·ル
如上所言,自进入中世室町时代,特别在其中后期其势尤甚。例如:
(56)天のあたへをらざるはかへつてとかをうるといふ。(《曾我物语》)
(57)は、しき者にてある。おん後よりりへ。(《谣曲·安宅》)
(58)日がれたによつて、がそのままのにゆる。(《狂言·盗瓜人》)
(59)まだぬがしをる。末広がりといふは、根本、扇の事ぢゃわいやい。(《和泉流狂言·扇形般扩展》)
(60)我おもひ、うちにある、やにえつ。(《闲吟集》)
(61)すこしの利をても、あまたのをるる。(《天草本伊曾保物语》)
最后,其中的“ラ变活用”如上例(57)(59)(60)所示,终在此期为“四段活用”所吸收(见表一)。
同样,“ナ变活用”的“死ぬ”也显示出日益为“四段活用”所吸收的倾向,如《蒙求抄》“メトふヌ先コトン”等。
在进入近世后,尤其是近世的后期,大都为以连体形结句的用例,几不见用于结句的终止形了。例如:
(62)といふ者は、にまれな気をつた者、んで一し、ぬるともこの、のにをなして、……(《净琉璃·冥途的信使》)
(63)今のよからぬをくものならば、不なる事をやでん。その時ゆるともらじ。(《雨月物语·3》)
(64)……ひめてはなかなかにわすられずとも、今日もまたおがへる。(《人情本·告春鸟》)
此时的大量用例更进一步促使终止形与连体形的同化。虽说在它的前期已出现了较前更多的“二段活用一段化”和“ナ变活用四段化”的用例,其后二者变迁之势更甚。如:
(65)に誰かまで生きる人なし、しかれば、よしなきひすることかなり。(《浮世草子·世间费心机》)
(66)菜(な)刀(がたな)で成共ひとりして、しねばよい物を。(《净琉璃·今宫情死》)
但“二段活用一段化”和“ナ变活用四段化”的最后完成均在它的后期。例如:
(67)の御はちににれる。(《滑稽本·浮世澡堂》)
(68)る、おのおっしゃるり、ぬ者でございます。(《歌舞伎·小袖曾我蓟色缝》)
以上部分主要对“终止形与连体形同化”是如何形成及其影响作一概述和简析,也许已可从中看出“终止形与连体形同化”这一重要的语法现象在动词活用变迁中具有重要的意义吧。
(二)
如上所述,“ナ变·ラ变活用四段化”和“二段动词一段化”的征兆始见于平安末“院政期”后,二者在终止形与连体形日趋合一、同化的影响、作用下均发生进一步的程度不同的变迁。为便于说明,兹将其分为中世和近世两个时代,并以大量实例对二者是如何逐渐发生变迁及其最终成为“ナ变·ラ变活用四段化”、“二段活用一段化”的作一具体分析、梳理。
——中世——
甲“二段活用一段化”的征兆早见于平安末的歌谣集《梁尘秘抄》(见例(53))、辞书《前田家本色叶字类抄》(见例(54))等中。此外,在此期尚有:
(69)《类聚名义抄》渝カヘ·ル更カヘ·ル
(70)《伊吕波字类抄》渝カヘ·ル経ヘ·ル总フルネ·ル
进入中世后除下录的辞书(见例(71))、说话集(见例(72))等外,甚至还出现在极其重视传统的和歌见下例(73)(74)(75)中。可见,“二段活用一段化”进程的势头较为强劲。
(71)《字镜集》渝カヘ·ル渥ツユノタル墜ヲル耄オル
(72)のほとりにて、すずろに人事、むかしよりなし。(《说话集·古今著闻集·16》)
(73)のを不によみこともあるべし。(《古今集显昭注》)
(74)いせや月ののはにはぬぞすみける。(《山家集》)
(75)がよのはにながめせし人めもしらずおちけり。(《万代和歌集》)
如上所示,自平安末至中世已陆续出现“たがへる”“からめる”“さびる”“よせる”“ふける”等新“一段活用”,但这种变迁是缓慢的、渐进的,甚至在中世室町末期的“二段活用”依然被视为标准形式。于此,露托里盖斯(Joāo Rodriguez,1561~1634年)的《日本大文典》中也称:若与“へる”、“える”相比,还是多使用“ふる”、“ゆる”的形式。其原因乃上述的原“与ふる”等“二段活用”均为书面语言,雅致、有力之故。关于这一点,即便被视为“中世室町时代重要的口语资料”的“抄物”中也可得到印证——甚至连《四河入海》中这样一类用例(如“今までいきるとも九十八はかりになるべし”等)也都很少见到新“一段活用”,而是多用原“二段活用”动词。
另则还须注意,在“二段活用一段化”的过程中还存在着地域上的差异。若与京都相比,关东方面的发展似乎较快。于此,在上述的《日本大文典》中也称,被称为新“一段活用”的“くらべる”“あげる”“める”“ねる”“ける”“える”“る”“でる”“ぜる”“せる”等在关东已得到一般使用,但在京都却很少使用,而且仅限于一部分人中。
总的来讲,此期的“二段活用一段化”虽得进展,但仍以原“二段活用”为其标准形式。
乙“ナ变活用”和“ラ变活用”与上述“二段活用”有所不同,即原本就与“四段活用”相近,如三者的活用形均在“五十音图”的“ア”、“イ”、“ウ”、“エ”四段上。未然、连用、命令的三形均为同形,而且推量助动词“む”、否定助动词的“ず”也都接三者的未然形下等。(见表二)
诚上所言,二者四段化的征兆早见于平安末“院政期”,但明显地出现四段化的倾向则是在进入中世以后。其中“ラ行活用四段化”的时期要比“ナ行活用四段化”来得早一些。
此期,“ラ变活用”已多见其四段化的用例。如前例(57)(59)(60)以及下例:
(76)はにあるとにしたそ。にのとある。(《蒙求抄》)
(77)すでに、りがのうちにある。さるによってこそ……。(《天草版伊曾保物语》)
(78)さてさて、にがったことをひおる。(《狂言·二人袴》)
(79)、のまでにしおった。おのれらけておくでないぞ。(《狂言·附子》)
(80)島にがおる、なんどふ。(《史记抄·十四》)
结果是其中的“ラ变活用”日渐失去它的特点,终在此期的“室町时代”为“ラ变四段活用”所吸收。“ラ变活用”也随之消亡(参见前表(一)。动词活用种类遂由平安时代的九种减为八种。
此期的“ナ变活用”,如前所言也已呈现出其连体形日渐为终止形所吸收,变为“ナ变四段活用”的倾向。例如:
(81)はりありにはぬなれはや。(《延庆本平家物语·三本》)
(82)は、にてをつかれてのつけさまに、れてぬもあり、腰のみられて、に者もあり。(《保元物语·下》)
(83)舒がでゐて震をびだすには舒はぬぞ。(《蒙求抄·十》)
——近世——
此期的“ナ变活用四段化”和“二段活用一段化”的变迁贯穿了整个江户时代,二者的最后完成也约在近世的后期。
甲关于“二段活用一段化”的进程,在关东和上方之间存在着差异。综观其倾向,包括江户在内的关东要比上方快一些。
在近世前期的上方,词干由一音节构成的“得る”“出る”“寝る”等原“二段活用”似乎较早地从“うる”“づる”“ぬる”等变为“える”“でる”“ねる”等新“一段活用”。约在“元禄时代”(1688~1704)前后,大量出现新“一段活用”等与原“二段活用”并存的现象。从数量上看,新“一段活用”要多一些,但原“二段活用”也依然相当不少。足见在近世前期,“二段活用一段化”的变迁尚未最后完成。例如:
(84)夜があくると日がくれる私がものもなかうど人でもやもやします。(《狂言本·倾城晓之钟》)
(85)子のつつるにいきるかぬる瀬が七たび有とはい。(《净琉璃·情死万年草》)
(86)はへだてる心はないが、をくる。悲しや。(《净琉璃·今源氏六十帖-第一》)
(87)へがいて、とぬる。(《净琉璃·大经师昔历》)
(88)約束のれるもいひ延ばし。(《净琉璃·冥途的信使》)
(89)このにぶらついてはようたとてへるぞ。(《净琉璃·冥途的信使》)
(90)のはしにをくれば、がの紙治とやと、するとみた。(《净琉璃·天网岛情死》)
(91)うなぎのはだへの、ゆれば、へ三裏、さいにゆる。(《净琉璃·道中双六》)
当时,一般教养程度较高的武士、男子等多用原“二段活用”,教养程度较低的庶民、妇女等则多用新“一段活用”。在郑重场合依然用原“二段活用”。
及至近世后期,由于文化中心由上方(一般指京都、大阪及其附近地方)移至江户(为东京之旧称),江户语中的“二段活用一段化”的进程便显得较快,新“一段活用”也遂得普及(见表三),如例(69)以及下例:
(92)がく信心のにえる事ともだ。(《滑稽本·浮世澡堂》)
(93)すでには、はでへる。《滑稽本·浮世理发店》)
(94)自分ののあたたまりで、がる。(《滑稽本·浮世理发店》)
(95)まだまだふしぎは、がねをおにあてると、の……らずきこへてたもどうせん。(《滑稽本·东海道徒步旅行记》)
(96)ある時、のをとりに、をせてよりるも、の者にがねとられたり。(《人情本·告春鸟》)
如上例所示,在近世的后期新“一段活用”虽已得普及,但需注意在特殊场合也仍使用原“二段活用”,如《人情本·春色梅儿誉美》“かへつて年倍の成績へ、もあたゆる同前ぢやが……。”等。
乙如前所言,“ナ变活用”在中世已呈现出日渐变为“ナ行四段活用”的倾向。但它在近世前期的上方语中,直至“宽政”(1789~1801)前后依然保持它的优势和特点。此时,“ナ变活用”的终止形和连体形为同形——“ぬる”,“(往)る”,而且这一现象持续了相当一段时期。例如:
(97)ぬるをのの。(《净琉璃·曾根崎情死》)
(98)死ぬるにあぶない事はない。(《净琉璃·姬藏大黑柱-第一》)
(99)はあののもとへをげてぬる。(《净琉璃·佛摩耶山问帐-第一》)
(100)それゆゑようさせてけてぬる。(《净琉璃·天网岛情死》)
(101)所をてぬれば、にゐるの間。(《净琉璃·天网岛情死》)
(102)このからだは……しぬればにかへる。(《净琉璃·天网岛情死》)
尽管如此,此期也并非没有四段化活用的用例,如:
(103)やがて死ぬけしきはえずの(《芭蕉·猿蓑》)
(104)ふたりしぬならしにたいがこなさましんでくださりよか(《净琉璃·卯月之红叶》)
(105)このままうへしぬもをしき……しぬまでそれがくされてる物でもなし。(《浮世草子·冲津白波》)
但自进入近世的后期,“ナ变活用四段化”的用例逐日增多。此时,一般已将其称为“ナ行四段”了,如例(68)以及下例等:
(106)そんなら人がしねば、〈おも〉しぬのかへ。(《洒落本·南闺杂话》)
(107)合戦だといふのは、ぬもんだと思へば、思ひの外に死なないで……(《杂兵物语》)
于是“ナ变活用”也终被“ナ行四段活用”所吸收,遂为“ナ行四段活用”。“ナ行变格活用”则随之消亡(见表四)。
但仍需注意,有时仍见有使用原“ナ变活用”的用例。如:
(108)わたくしはそのときはとてもいきてはをりません。死ぬるでございます。(《人情本·假名文草娘节用》)
至此,“ナ变活用四段化”以及“二段活用一段化”均最终完成。
如上所示,文言的动词活用种类在“终止形与连体形同化”所施重要的影响、作用下,随着动词活用从古代语向近代语变迁的过程中最后由中古的九种减为五种,与现代日语相同。这五种动词活用与前代相比,应该说更为简略、更有规律、更易于识别、更便于使用和普及。这也正是在日本国语史上其重要意义之所在吧。
(本文原于2003年7月发表在《日本语言文化研究(第四辑)》(北京大学日本文化研究所等编,学苑出版社)上后在此基础上经修改、整理、补充而成)。
(作者单位:北京大学外国语学院)
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